大田原市若草 名稱不明橋

2679年 6月 4日 探訪

 此方は 【大田原市若草 五郷橋】 依り五百米程鹿島川を上つた處に架る橋であります。

 其道幅から、縣道依りも此方の方が主要道なのでは無いかと思へる程でありますが、事實交通量を鑑みますとさう感じました。

 扨、ぱつと見に五郷橋同樣後年に成つてガアドレイル高欄に附替られた橋に見えますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で、不取敢此方、右岸側から見て行き度いと思ひます。
 後年に成つてから附られたであらう鐵板の歩道と、橋前後の道幅から察するに、多分元から橋の幅員は此處迄だつたと思はれます。
さうして、其歩道が附られた時に親柱は撤去されてゐるのでは無いでせうか。

 勿論、其痕跡は皆無でありました。
 銘板が附られるであらう窪みは在りますが、元から附た樣な痕跡は御坐いませんでした。

 して、ならば混凝土に直接彫つて有るのかと云ひますと、多分其も違ふのかなと云ふ感じであります。

 ちやんと親柱には笠石が作られてゐるのが良い年代と云ふ感じであります。
 意匠確認と、念の爲何も書かれてゐ無いかと思ひ確認して見ました。

 うゝむ、何と無く何か平假名で書いて無くも無いと云ふ感じに見え無くも無いのでありますが、當然の樣に判讀困難でありまして、解讀は出來ませんでした。
 見る角度を變へて見ても難しいでありますね。

 序でに主桁を見てみましたが、之は混凝土T字桁でありますね。

 其と、改修はされて居りますが、下の方の地覆を見ますと、結構な年代物に見え無くも無い感じであります。

 では左岸側へ移動致します。
 此方も元の高欄は見る影も無く、ガアドレイルが附られて居ります。
 はい、此方も判讀不能でありました。
當然、此方にも親柱の痕跡は御坐いません。
 左岸側からも橋臺を見てみました。

 此感じは多分戰後物件、昭和廿年代から卅年代前半迄の物だらうとは思ふのでありますが、まあ見辛い橋でありましたので此邊が限界であります。
まあ、五郷橋が昭和卅一年でありますから、多分其前後頃と考へるのが妥當だと思ひますし、此方、良く見ますと親柱は桁の方に有る樣でありますので、 多分其年代判定で間違無いと思ふのであります。

 併しまあ、中々に面白い雰圍氣の良い橋でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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