日光市中宮祠 逆川橋

2680年 5月 18日 探訪

 此方は 【日光市中宮祠 龍頭の橋】 依り國道一二十號を北上した處、逆川(サカサガハ)に架る橋であります。

 一見した處、第二いろは坂等に代表される一連の昭和四十年頃の物件とは違ひ、一世代前の橋と云ふ感じでありますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。
 昭和36年3月竣工。

 矢張一世代前の橋でありますね。

 併し、昭和卅八年の航空冩眞を見ますと、もう既に其頃、否、昭和廿七年の冩眞でも戰場ヶ原邊の道は廣いと云ふ印象でありますので、 金精隧道を含む國道の開通を見越して擴幅が進められ、開通に向ての早い段階で此處は竣功し度のでは無いでせうか。

 で以て、觀光地と云ふ事で凝つた意匠の親柱に御影石の銘板と云ふ事に成つたのでは無いでせうか。
 此方は銘板が無い、と云ひますか、之、親柱は新造されて居りますよね。
何處から如何見ても新しい感じでありますし、高欄との位置關係も不自然でありますもの。

 きつと何等かの事態で親柱が破損した時、銘板も一緒に失はれたのだらうと推察致しました。
 高欄は手荒く獨特な、丸で藝術作品の樣な意匠であります。

 いやあ之、型枠組むの手荒く大變だつたのでは無いでせうか。
 上流側の方が状態が良いでありますし見易いので、此方も掲載して熾きます。

 地覆が見えませんが、多分舖裝が盛られて居りますので、其時に隱れて仕舞つたのでは無いでせうか。

 では右岸側へ移動致します。
 逆川。

 親柱が痛んでゐるのは、若かして冬場路面が凍結して自動車が滑つて打當つた所爲なのでせうか。
 えゝと、一寸見辛いでありますね。
 さかさがわはし。

 と云ふ事は、左岸側の新造された親柱には元々は橋名の「逆川橋」の銘板が附てゐたと云ふ事でありますね。

 嗚呼、勿體無い。
戸思ひつゝも讀方が分るだけでも有難かつたであります。
 横から見ました處、之はスラブ形式とか牀版橋と云はれる混凝土橋でありますね。

 其にしましても橋臺の造が可也嚴い感じでありまして、今迄見た事が無い感じの物であります。
多分、河川名の通りの事象が有るからだと思ふのでありますが、まあ一寸驚きでありました。

 併しまあ、意匠的に可也前衞的な意欲作が見られて手荒く滿足でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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