日光市萩垣面-所野 名稱不明廢橋

2679年 1月 15日 探訪

 此方は 【日光市上鉢石町-山内 日光橋】 依り五百米程北東、日光霧降アイスアリイナの矢張五百米弱程下側であります。

 細い角柱の古初代ガアドレイルが附てゐる斯樣な道を進んだ處に目的の橋は御坐います。
 見えて來ました。

 既に落橋して居ります。
 擴大して見ました。

 最早如何云つた形式の橋だつたのか想像に難いでありますが、方杖橋だつたのでせうか。

 因に此方、河川名は赤澤川であります。
 途中の御墓から先は廢道に成つて居り、其先二、三箇所程崩落して居りましたが、別段難儀する樣な處は無く現場に到着しました。

 ぱつと見、對岸、左岸所野側の護岸の一部は崩落して居りますが、橋臺自體は良い状態を保つてゐる樣であります。

 未だ主桁の一本は橋臺に附て居りますね。

 石積の橋臺、基本的に戰前物件なのだらうと思はれます。
 牀版、と云ふか路盤だと思はれる材木を見ますと、其也の幅員、自動車は當然通れる位は在つた樣であります。

 併し何段にも石積の護岸が在り、中々に壓卷な眺めであります。

 之、結構な高さに架橋されてゐた木橋でありますし、距離的にも中々、地圖で確認致しますと廿五米程は有つた樣であります。

 手前、此方右岸側の橋臺にアンカアボルトが殘つてゐるのが御分り戴けるでせうか。
 此方右岸側の橋臺の上流側を見て居りますが、之は親柱の殘骸でせうか。

 一寸ね、之以上先にはアレなので行きませんでした。呵呵
 翼壁は混凝土で出來てゐる樣であります。

 此方にも材木が少し散ばつてゐる樣であります。
 扨、此方でありますが、國土地理院地圖の航空冩眞で日光橋を見ようとしてゐた時に、偶々發見致しました。
多分現在の道の舊道だつた處だらうと思ひ來て見たのでありますが、まさかの木橋の殘骸が其儘殘つてゐるとは意外な發見でありました。

 して、昭和廿二年の航空冩眞でも此方、と云ふか此場所でありますかな、が冩つて居りますので、多分戰前に架橋はされてゐると思ふのであります。

 では何時頃迄架つてゐたのかでありますが、西暦2000年の冩眞では落橋してゐる樣でありまして、1988年の冩眞、新道が開通してゐる後でせうが、未だ架つてゐる儘の樣でして、 ちやんと冩つて居りましたので、其間に自然に朽ちて落ちたのだらうと推察致します。

 まあ假に未だ架つてゐた儘だとしましても、多分手荒く危險な状態だつたでせうから渡りはしませんでしたが、斯うして木橋が架つてゐたと云ふ事が分かつただけでも良い收穫でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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