2679年 5月 7日 探訪
此方は
【那須町蘆野 仲橋】
依り五百米程栃木縣道廿八號線を西進した處、西川に架る橋であります。 まあはつと見で高度經濟成長期の頃の物件だなと云ふ感じでありますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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しんかいはし。 親柱は無く、高覽の端に銘板が附て居りました。 まあ、案外彼方此方で見掛る姿でありますね。 |
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西川。 あらまあ何と、此方は漢字表記でありました。 大抵斯う云ふ場合つて何方かと統一されてゐる樣な氣がし無いでも無かつたのでありますが、斯う云ふ物なのでありますかね。 と云ひますか、現在の地圖では此方"菖蒲川"と成つてゐるのでありますが、後年に成り河川名が變つたのでせうか。 |
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高欄は混凝土管を一本使用し、上部は柱と同一の太さの儘枠に成つてゐる樣な意匠であります。 では右岸側へ移動致します。 |
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新開橋。 橋名の由來は不明でありましたが、此邊は新に開墾された土地なのでせうか。 と云つても何時の時代なのかと云ふ感じでありますが。 |
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にしかわ。 うゝむ、若かして河川名の銘板は取附る場所間違つたのでせうか。 多分此方側に漢字表記が來るのが正しかつたのでは無いかなと思ふのでありますが。 |
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横から見ました處、此方は牀版橋の樣であります。 まあ、是も時代の流行でありますよね。 と、橋歴板が附て居りました。 |
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昭和四十年三月完成でありますね。 成程、ぱつと見の印象の儘の年代でありました。 併し今、元からの混凝土路盤の儘と云ふのも珍しいでありますから、出來ますれば此儘でずうつと殘つてゐて欲しいなと思へます。 因に、舊橋の痕跡は御坐いませんでした。 以上、御附合有難う御坐いました。 |