眞岡市西田井、根本-八條 赤堀橋

2673年 10月 15日 探訪

 此方は栃木縣道一六六號線の赤堀川に架る古い橋でありますが、道路が何本も合さる處の所爲か、手荒く痛んでゐる樣子であります。

 中央線の無い道ではありますが、一見しますと別段普通の橋であり然程難しい線形と云ふ譯でも無いと思ふのでありますが、 手前、東側は親柱が消失して居りますし、高欄には大きな反射鏡が附てゐる等、其なに打當る車が多いのでせうか。

 まあ、實際寫眞を撮つてゐて思ひましたのは、確に交通量は多かつたのでありますが、何と云ふのでありますかね、 不取敢皆道の幅員に對して飛ばし過ぎだらうよ、と云ふ處であります、實際。

 では此方、左岸側から見て行きます。

 因に、道路だけでは無く地域も入組で居りまして、拙が今居る處が西田井、左手の親柱が在つたであらう處から橋の中央部迄が根本、 橋の中央部から右岸側は八條と成つて居りますが、多分元々は河川に對して直交する樣架橋されてゐたのでせうから、根本-八條が元々の架橋地區だと思はれます。
 まあ見事に親柱は跡形も無く消失して居りますし、代替の注意喚起用の柱迄無殘な姿であります。

 其に高欄も全體的に可哀想な位襤褸襤褸であります。

 何處と無く、反射鏡の向も可哀想であります。
 此方上流側も親柱は消失し、同樣に代替品の注意喚起の柱が建つて居ります。

 其にしましても何だかなと云ふ感じでありますし、何か、高欄の柱が在らぬ方向に曲つた儘修復されてゐるのが可哀想であります。

 と云ひますか、反射鏡が異樣に大きいでありますよね。
其程迄に皆さんアレなのでせうか。
 と思ひましたら何と、此な處に親柱が在りました。

 之つて破損してから可也の年月が經過して居りますよね、間違ひ無く。
 して、状況的に見て此方を向てゐる面が道路正面側だつたと思ふのでありますが、如何やら銘板は附てゐ無かつた樣であります。
 せまいみち子供注意

 さう書いて有りますが、此處は通學路なのでせうか。

 通學路の橋で此状態では、さぞかし親御さんは氣掛りな事でせう。

 案外さう云ふ親御さん達こそがさう云ふ運轉、をしてゐ無い事を願ふ許であります。

 高欄の意匠からしまして此方、昭和卅年代物件だらうと推察致しました。

 では右岸側へ移動致します。
 ええと、白い花崗岩の樣な石に文字が書いて有る型の銘板なのでありますが、最早完全に文字が消えて居りまして、判讀不能でありました。

 でありますが、文字が書かれてゐたであらう部分だけが辛うじて綺麗でありましたので、其を何とか解讀しました處、赤堀川と讀む事が出來ました。

 でありますので、此處が赤堀川だと云ふ事も地圖で確認致しましたので、其で間違ひ無い筈であります。

 併し、親柱の破損具合もアレでありますが、高欄の柱も手荒く哀れであります。
 赤堀橋。

 成程、多分でありますが、右岸側にだけ銘板が附てゐる類、さう云ふ樣式の時代の橋なのかも知れません。

 併し車止の部分迄壞れてゐるつて、一體何が打當つたのでせう。
 橋自體は多分、白い銘板や高欄等から察しますに、昭和廿年代後半から卅年代半ば迄の物だと思ふのであります。

 と云ふ事で航空冩眞を確認して見ました處、昭和廿二年では川幅も違ひますし直交する樣に架つてゐる樣な感じでありました。
其が昭和卅五年の冩眞に成りますと、現在の姿と同一の樣に見受られますので、其間、特に銘板や此横から見た混凝土の桁、 多分ほぼ間違ひ無くT字桁であらうと思ふのでありますが、其直線的な特徴からしまして、推察通りの年代で間違ひ無いと思はれます。

 併し本當、仰々しい迄に橋に注意を促す物だらけでありますが、其なにアレなのでせうか。
確に傍には本誓寺と云ふ御寺は在りますし、以前には周圍を木で被はれてゐた樣でありますが、何か其だけの所爲では無い樣な氣も致します。

 さう、パイロンの袂の案内柱に關東ふれあいの道つて有るのでありますが、だから皆自動車で橋に觸合してゐる、と云ふ譯では無いでありますよね。
 して、一寸氣に成つて見たのでありますが、此橋の袂の三本の石碑、建立年がはつきりとは讀め無かつたのでありますが、 如何やら此川で水難に遭はれた方が何人も居る樣でありまして、全て水死された方の供養の爲の物でありました。

 若かしますと此赤堀川、當然普段は大人しいのでせうが、臺風時期とかには可也の濁流に成る樣な川だつたのでせうか。

 手前側の二本は然程では無いと思はれますが、對岸の一本が何か寂しさうな感じでありますので、若かしますと、一寸アレなのかも知れません。

 が、と云ひますか、逆に皆に注意を促してゐる樣にも思へるのであります。
 斯うして見ますと、川牀迄混凝土でしつかりと、且つ何か凹凸で流速を弱める樣な加工をしてゐるのでせうか、 一寸平野部の川とは思へ無い感じが致しますので、此處迄改修し無いと落着か無い川だつたのかも知れません。
 でありますので、心許でありますが、皆の安全や水難に遭つた人の御冥福を祈りつつ、親柱の反射鏡を直して赤堀橋を後に致しました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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