2674年 9月 2日 探訪
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【高根澤町中柏嵜 名稱不明橋】
から七百米程上つて來ました此處、南那須町八ケ代(ヤカシロ)地區の大川に架る橋であります。 如何にも古式蒼然とした橋でありますが、前囘同樣、多分昭和四十年代半ば頃の物件と思はれます。 ちらりと見える混凝土塊團の護岸がさう云ふ年代の指標に成るかと思ひますし、河川改修に因り大川の流れが別物に成つてゐる證據共思ひます。 其では此方、左岸側から見てみませう。 |
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逆傾斜型の親柱のみを省いただけ、と云ふ感じでせうか。 高欄の下の鐡管の位置からしまして、昭和四四、五年頃の意匠、竣功でせうか。 |
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桁は所謂單純桁と云ふ物かと思はれます。 |
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下流側を望みます。 左手、電柱が竝んでゐるのが栃木縣道六一號線であります。 此方も線形改良で舊道部分が處々殘つてゐるのでありますが、別段書く程の箇所も無いのかなあと云ふ感じでありますので、探索はして居りません。 |
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更に四百米弱程上りますと、もう一本同樣の意匠の橋が架つて居りました。 此方は昔乍の道筋でありまして、比較的交通量も多いのでせうか、後年に成つて路盤にアスハルト舖裝が施工された樣であります。 では此方も左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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若干此方の高欄の方が低いでありますかね。 と思つたのでありますが、多分後年に成つて盛られたアスハルト舖裝分の厚味でさう思へるだけでせうね。 とは云へ、若干鐡管が太いとか、下段側の位置が若干低いと云ふ感じがし無いでも無い感じであります。 して、年代的にも一年程此方の方が新しいとか、と云ふ感じでせうか。 |
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何れにしましても、兩橋共竣功年度を示す物が無いのが殘念であります。 して、此方も單純桁でありますかね。 |
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上流側を望みます。 良い雰圍氣なのでありますが、之が人工的に改修された河川でありますものねえ。 唯、自然と自然に還る樣に成りますのは、自然の力強さ故かと思ひます。呵呵 以上、御附合有難う御坐いました。 |