益子町七井 名稱不明橋二本

2676年 8月 1日 探訪

 此方は栃木縣道一號線の交叉點から分岐し、栃木縣道一六三號線を百米程北上した處、小宅川に架る橋であります。

 まあぱつと見ガアドレイル高欄の如何にもな橋でありまして、然して取上る程でも無いかな共思つたのでありますが、 良く見れば古初代ガアドレイルでありましたので、之は昭和四十年代前半物件だらうと云ふ事で取上る事に致しました。

 とは云へ、其だけの養な氣がし無いでも無いでありますが、其實如何云つた特徴が有るのか、此方右岸側から見て行き度いと思ひます。
 +螺旋でありますので、昭和四四年とか四五年頃の物件でせうか。
 横から見ました處、混凝土桁でありました。
多分に此厚みでありますと、所謂牀版橋と云ふ形式かと思はれます。
てつきり鈑橋だらうと思つてゐただけに、意外な形式で驚きました。

 扨、と云ふ事で竣功年の考察でありますが、航空冩眞を參考に致しますと昭和四二年の冩眞では未だ存在して居らず、昭和四五年の冩眞では確認出來ますので、 其間に竣功したと云ふ物件でありますね。

 其と、其時に此方の道筋が完成して居りますので、所謂バイパス的扱ひの道と云ふ處の橋だと思はれます。

 まあ、道路自體も何時頃出來たのかと云ふ證にも成る物件と云ふ事でせう。
 御次は先程の橋から二五十米程小宅川を上つた處に架る橋であります。

 新しい感じの高欄が附て居りますが、此川幅で橋脚を持つ二徑間の橋でありましたので、間違無く古い橋だらうと云ふ事で取上る事に致しました。

 と云ふ事で、此方左岸側から見て行きます。
 横から見ますと、何共可憐な感じの桁であります。

 尤も、元々農用道橋と云ふ感じで高欄も持た無かつた橋だつたのでせうから、想定した交通量も然程では無いでせうから、是で十分だつたのでせう。
其が通學路か何かでアレに成つたので、後年に成つたから斯樣な姿に成つたのでは無いかと推察致します。

   して、桁でありますが、多分T字桁では無いかと思ふのでありますが、牀版橋に見え無くも無いと云ふ感じでせうか。
 橋脚は隨分と華奢な感じのパイル形式の物であります。

 唯、其姿から此方 【益子町東田井-上山 徒士橋】 と同樣の形式に見えますので、結構な年代の物件と云ふ事でせうか。

 おや、川面近くに何か見えますね。
 何と、之は木橋時代の橋脚跡では御坐いませんか。
何と云ふ、實に素晴らしい物が殘つてゐた物であります。

 して、竣功年の推定でありますが、昭和廿二年と昭和卅八年では川の姿が全然違ひますし、其後者の年で此方の姿が確認出來ますので、 多分に竣功年は上記の橋同樣、昭和卅年代前半頃で良いのでは無いでせうか。

 何しろ、他では見無い此パイル形式の橋脚が其竣功年度の推定材料に成ると思ひますので。

 して、出來ればさう云ふ年代物と思はせ無い儘に、ずつと殘つてゐて欲しいと思ふ物件でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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