益子町大澤 風戸橋

2676年 8月 1日 探訪

 此方は  【益子町大澤 上町橋】 依り一キロ半程大羽川下つた處に架る橋であります。

 正直、此處は國道一二一號と一二三號とを斜に繋いだ樣な道でありますので、不要な道なのでは無いかと思つて仕舞のでありますが、 勿論此方が舊來からの道筋でありますので、十分に存在意義は有るのであります。

 扨、實際の橋でありますが、ぱつと見には新しい感じの橋と云ふ印象でありましたが、路盤が混凝土であると云ふ事、横に歩道橋が在ると云ふ事から、 實は結構な年代物では無いかと見て、今囘じつくりと觀察する事にした次第であります。

 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。
 大羽川。

 花崗岩で出來たモダアンな意匠の親柱でありますが、其處に附てゐる銘板が何と無く歴史掛つてゐる感じでありまして、 矢張其也の年代なのでは無いかと云ふ雰圍氣を釀し出して居ります。
 風戸橋。

 此方、大澤地區の字風戸に成るのでせうか、其での命名と思はれます。

 でありますが、直に往年のレエサア風戸裕選手を想起して仕舞つた貴方、拙と同じく手荒く自動車好きてありますね。呵呵
 高欄は現代的な物に交換されて居りますが、良く見ますと地覆には微に舊高欄の柱の後が見られます。

 きつと混凝土柱に鐵管、若くは混凝土管を二本程使つた物が附てゐたのでは無いでせうか。

 では、右岸側へ移動致します。
 昭和36年3月竣功。

 成程、矢張さう云ふ年代の橋でありましたか。

 何か、親柱の土臺附近の混凝土の樣子を見ますと後附感滿載なのでありますが、今時で斯う云ふ材料、意匠は無いでせうから、之も當時物なのでせうね。

 且つ、横書英數字の銘板に時代を感じます。
戰後良い頃の歐米萬歳的な思想からでせうか。
 かざとはし。

 何と無く元々は普通に四角い親柱だつた樣な感じがし無いでも無いでありますが、今と成つては知る由も無いので、まあ、良いであります。
 排水桝は斯樣な具合でありまして、如何にも西暦1960年代前半の意匠だなと云ふ感じであります。
 横から見ますと、之は先づ間違無く混凝土T字桁かと思はれます。
而も橋脚が未だパイル形式の物と云ふのも、年代からしますれば珍しいと云ふ感じでせうか。

 と云ひますか、此年代頃が過渡期なのでありますかね。

 まあ、色々と現代的には改修されて居りますが、如何にも舊來からの道筋の古い橋と云ふ感じで、氣附て觀察して良かつたなと云ふ感じでありました。
其以前の、先代橋の遺構が見られ無かつたのが一寸殘念でありましたが、此方が長く殘つてゐて呉れれば良い、と云ふ感じでありますかね。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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