2677年 12月 18日 探訪
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此方は
【益子町東田井-上山 徒士橋】
依り一キロ程小貝川を下つた處に架る、栃木縣道二五七號線の橋であります。 まあ端的に書きまして、河川改修に伴ひ、若くは架替に伴ひ河川改修が行はれたと云ふか、さう云ふ經緯で出來た橋であります。 舊橋、舊河川は現在依りも半分程度の川幅にほぼ平地の儘架橋されてゐた戰前物件の樣でありますので、現在の高さ迄嵩上され、且つ川幅の大幅な擴幅の上での架橋は、 多分に増水時の對策の爲と想はれます。 と云ふ事で、此方右岸、眞岡市根本側から見て行き度いと思こます。 |
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田野橋。 見辛いでありますが、少し覗く樣にして確認しました處、さう書いて有りました。 因に、田野橋と云ふ名稱でありますが、如何やら益子町側に曾て在つた田野村が由來の樣であります。 |
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小貝川。 下の、現在は河川敷に成つてゐる處からしますれば、結構嵩上されてゐるのが御分り戴けると思ひます。 因に、丁度輕トラが置いて在る處が舊道、舊橋の渡河地點であります。 勿論、痕跡は皆無であります。 |
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右岸下流川の親柱の外側に工事銘板が附られて居りました。 昭和四五年三月竣功でありますね。 併し橋長や立派さから一等橋かと思ひましたが、まさかの二等橋でありました。 結構意外と云ひますか、今が想定外の交通量なのだと云ひますか、其な感じであります。 |
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橋臺。 親柱部分は迫出してゐる形でありますね。 |
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高欄の意匠は 【眞岡市田島 田島大橋】 の樣な感じでありますかね。 |
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排水桝。 今囘長靴が泥塗れでありますが、別な處で見事泥に嵌つての結果であります。 之でも可也洗つた後なのでありますが、中々に泥は落ち無い物でありますね。呵呵 |
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横から見ました處、四徑間の鈑橋であります。 まあ、昭和四十年代の定番でありますね。 |
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して、何故か中間部の橋脚だけ歩道橋側と附られてゐるのでありますが、理由は何なのでせうか。 若かして亂流防止の爲でせうか。 |
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偶には下からも。 では左岸側へ移動致します。 |
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田野橋。 ま、全てが此時代の定番、御手本的物件でありますね。 |
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小貝川。 此方、近くに道の驛も出來る位でありますので、交通量は結構多いのだと思はれます。 でありますので、自動車が途切れるのを見計らつての撮影だつたのであります。 舊橋の痕跡が分ら無かつたのが殘念でありますが、舊道部分は歩けましたので、其也には良かつた物件でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |