2678年 5月 29日 探訪
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此方は
【黒羽町黒羽向町 奧澤橋】
依り四キロ近く國道二九四號を北進した處、那珂川に架る橋であります。 現在では栃木縣道卅四號線と成つて居りますが、曾ての國道二九四號であります。 まあ、ぱつと見には其程狹くも無い樣な感じなのでありますが、前後の線形の惡さと歩道も無い事等から、國道側は橋が新設され、此方は縣道に成つたと云ふ處でせう。 と云ふ事で、曾ての國道橋は如何云ふものなのか、此方右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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那珂川橋。 と書いても草が邪魔で見えませんね。 其にしましても立派な親柱であります。 矢張橋長の有る物件ですと必然的に立派な造に成るのでありますかね。 もう一枚内側向に銘板が附て居りますが、竣功年度でせうか。 |
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昭和三十五年六月竣功。 成程、良い時代の物件でありますね。 |
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横から橋臺と親柱を見てみました。 支承がはつきりと見える混凝土橋も良いでありますね。 併し何氣に堤防の石積が急峻であります。 おや、親柱外側にも何か銘板が附て居りますね。 |
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施工者 石川建設株式會社。 成程、多分地元の業者さんなのでありますかね。 |
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因に、道路の擁壁もほぼ垂直であります。 良く綺麗に石を積んだなと感心致します。 |
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那珂川。 わはゝ、此方も草生して居りますが、さう書いて有りました。 |
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排水桝。 今迄に見た事の無い造形の物でありました。 |
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高欄は後年に成つてガアドレイル物に改修されましたが、元々は混凝土管を二本使用しました、正に昭和卅年代らしい意匠でありました。 して、舊橋の跡でも在るのかなと思ひ川面を見た處、見事に一杯殘つてゐるでは御坐いませんか。 と、まあ不取敢舊橋の痕跡は措いとゐて、左岸側を見てみませう。 |
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那珂川橋。 昭和三十五年六月竣功。 成程、斯う云ふ具合で左右兩岸對稱と云ふのも珍しいでありますね。 而も手荒く綺麗な状態でありますし。 |
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那珂川。 此方の上部は一度、派手に壞れてゐる樣であります。 |
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扨、右岸側に戻つて來て、横から見て居ります。 此方、混凝土T字桁でありますが、多分之はRCでは無くPCでありますね。 戰後導入された方式で、一徑間が長く出來るのが特徴でありますし。 |
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橋脚、曲線部分の型枠跡は如何なのかと思ひ見ましたが、細い跡では御坐いませんね。 斯う云ふ處でも近代的な工法に變化して來てゐる年代の物件、と云ふ處でせうか。 |
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扨、では舊橋部分を見て行きます。 此方は橋臺に向つての部分でありますが、痕跡は確認出來ません。 |
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橋臺も完全に草木に隱れて居ります。 |
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橋脚の跡は可也殘つて居りますが、一體何徑間の橋だつたのでせう。 昭和廿三年の航空冩眞で確認致しますと、多分九徑間が十徑間の樣に見えました。 |
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此高さで切つて撤去したと云ふ事でありますかね。 |
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と思つた割には、流出したのか其儘放置されてゐる物も御坐います。 |
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左岸側の橋臺。 未だ現役で使用出來さうな位、綺麗な状態で殘つて居ります。 支承の跡とか分りませんから、もしかすると木橋が載つてゐたのでせうか。 |
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綺麗な橋脚が殘つて居りました。 此方にも支承の跡とかは分りませんで、綺麗な儘であります。 |
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まあ此舊橋跡、何も資料がネツト上では見當ら無いので何共云へ無いのでありますが、木橋にせよ混凝土橋にせよ、徑間が短かかつた事から、
増水には弱かつたのでは無いかなと推察致します。 きつと其で痛んだりしたので、昭和卅五年に現在の四徑間の物に架替られたのでは無いでせうか。 徑間が半分以下に成れば水の抵抗も隨分と減つたでせうからね。 まあ、或る意味良い具合で歴史的な物が殘つてゐると云ふ事で、大いに見所が御坐いました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |