上河内村中里 中根橋

2673年 10月 7日 探訪

 此處中里交叉點迄の舊道探索を終へ、日を改て其先を遣る時に現道側を進んで居りました處、此方の物件を發見致しました。

 自動車では全く氣附か無かつた物件でありますが、殊自轉車での移動でありますと、斯樣な細い物件も發見出來ると云ふ譯であります。

 まあ御覽の通り、見事に高欄が減込んでゐるのでありますが、一體如何云ふ事なのか見て行き度いと思ひます。
 現在の橋の長さから致しますと、若干左岸側に高欄だつた物の長さが足り無い樣な感じが致します。
まあ其だけ後程に改修された結果なのだと思ひますが、多分、其時に親柱も撤去されてしまつたのでは無いかと推察致します。

 さうしますと、何と無くで橋長も足りてゐる樣な感じに見え無くも無いと思へます。
 此方の圓い跡から致しまして、元々は高欄の内側にガアドレイル的な物が設置されてゐた樣に見受られます。

 勿論、歩道部分も後年に成つてから附足された物だと推察致します。
 併しまあ何と云ひますか、實際。

 多分でありますが、元々此方の開通當初は鐵管一本の、然程高さは無かつた高欄だつたと思ふのであります。
其が後年に成り歩道部分が附足され、且つ線形改良か何かで勾配を緩和する爲に舖裝が盛られる事に成り、其に合はせる樣に桁の側面も改修した結果、 斯う云ふ具合の見た目に成つて仕舞つたと云ふ譯なのだと推察致します。
 して、曲線の外側に成つてゐる上流側は、道路の傾斜に因り鐵管部分は完全に混凝土に飮込れてゐる状態に成つて仕舞つたと云ふ事なのだと思はれます。
 まあ、此方上流側だけを見れば、一體何の模樣と云ふか、何の爲の突起が附てゐるのだらうと云ふ程度の認識だつたと思ふのであります。
 因に此方、航空冩眞で確認致しますと、昭和卅六年以降卅九年迄の間に開通し、昭和五七年頃迄に歩道部分が附足され、現在の姿に成つたと考へられます。

 まあ、斯う云ふ形でも新道が出來た當初の名殘が未だ健在と云ふのは面白い限りだと思うひます。

 況てや、何か面白い形に成りつゝも殘つてゐるのでありますから。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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