上河内村高松 天ケ澤橋

2673年 10月 7日 探訪

 此方、日光サアキツトの西側入口依一寸先、一見しただけでは見落し勝ちの樣な草の切目部分が入口であります。
 但しぱつと見には通行止であります。

 でも良く見ますと、其は不法投棄禁止の呼掛看板でありました。

 手前の一寸だけの舖裝部分は何故なのでせうか。
 躊躇せず入つて横を向けばほら、素敵な道の始まりであります。
 轍は確認出來ません。

 其依も、水が流れて結構路盤が滲蝕されて居りますね。
是では四驅ぢや無いと無理でせう。

 さう、くろがね四起で來たなら樂しさうでありますね。
 して、路盤が荒れ始めた邊の、此不法投棄防止の看板を過ぎた邊から、何と無く誰か男の人が一人、五米程後ろから附て來るなと云ふのを感じたのであります。

 光の加減が冩つただけと云へばさうなのでせうが、何か、今迄で初めてなのでありますよね、斯う云ふの。
 とまあ、其は別段氣にし無い方向で如何でも良いのでありますが、地面が濕り氣を帶始まりました處で、愈々跨道橋に到着であります。

 入口から距離にして百米程でせうか。
近いのでありますが、一人で山中を歩きますと意外と遠く感じるものであります。
 上記の寫眞では分り辛いでありますね。

 はい、此がさうであります。
前囘の前久保橋依り草生して居りますね。

 勿論、之で下は現役其物の東北自動車道であります。
 あまがさわばし。

 某ストリイトビウで高速道路側から確認しますれば天ケ澤橋。

 と云ふか、其つて何かの意地惡ぢや無いのかと云ひ度いと云ふか、高速道路側から態々見る人つて何れだけ居るのかなあ。

 併し混凝土が剥がれて鐡筋が露出し始めて居りますね。

 と云ふか、何て大きい銘板なのでせう。
 昭和47年12月竣功。

 何か字體が素敵であります。

 さう、何處と無く西鬼怒川に架橋されてゐる物件と似た雰圍氣の字體だなと思ひました。

 因に、フレネシー工法で一寸調べて見ましたが、普通に鐡筋鋼材が入つてゐるのとは違ひ、線材を張つて作られてゐるのでありますね。

 ん、其つてPC、とは又違ふのでせうか。
 まあ、不取敢先に進んで見ませう。

 併し、本當に橋の上なのかと云ひ度く成る程に植物が成長してゐるのでありますが、何か、多分、 輕トラ分の幅だけは辛うじて植物の侵蝕を免れてゐる樣な感じであります。
 高速道路を走る運轉手さん達、直傍では斯う云ふ景色が展開してゐる事が想像出來るだらうか。

 逆を云へば、其だけ道路の維持管理と云ふのは大變な努力の賜物だと云ふ事を感じた次第であります。
 と云ふか、先へ進むの躊躇して仕舞ひさうであります。

 屋上ガアデニングぢや無いのでありますから、實際。
 嗚呼、此方の方が前久保橋依り林道としては機能してゐる樣であります。

 此儘進めばサアキツトの傍に出る筈であります。
 如何やら人の手は入つてゐる樣でありますね。
看做廢物件と思つたのでありますが少し違ふ樣であります。
 して、途中分岐が在り、左手に行けば國道二九三號に出るらしい道が在りました。

 其處からも少し先迄歩て來たのでありますが、案外時間が掛つて仕舞ひ、次の豫定地も有る事でありますので、 本當にサアキツトに出られるのかは確認せず、此處で引返しました。

 何か、直感がもう戻らうと云つてゐるのでありますもの。
 歸り際に撮つたのでありますが、案外入口附近は廣い路盤だつたのでは無いかと思ひました。
きつと高速道路が出來る以前にはもつと頻繁に利用されてゐた道だつたのでせう。

 多分に、其頃迄は未だ林業の需要が有つたのかも知れません。
其が國内林業の衰退と共に斯う成つたのかなあとか思ひつつ戻りました。

 因に、例の場所から憑いて來てゐた人とは、其場所で御別れ致しました。
如何やら、何か珍しい事遣つてゐるなと興味を持つて見てゐたさうであります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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