上河内村冬室 名稱不明橋

2673年 9月 24日 探訪

 九月十日に一度、山田川界隈に古い橋が殘つてゐ無いか探索した時、つい見忘れてゐた場所が有りましたので、改て訪ねて見ました。

 山田川、前川も昭和五十年代に入り河川改修が行はれ、曾ての面影はほぼ皆無と成つて居りますが、此處の橋が改修前から殘る貴重な物件であり、 且つ何共云はれぬ存在感を放つて居りましたので、之は冩眞に收て措くべきだと思ひ取上る事に致しました。

 場所は冬室地區の某所、舊線形の名殘が在る交叉點を直進した直先に架かつて居ります。
 如何見ても他人樣の屋敷に不法侵入して突進む樣にしか見えませんが、實は此處に道が佇んでゐるのであります。

 否、拙も本當に良いのか可也躊躇しましたが、恐る恐る道の先を覗きました處橋が確認出來ましたので、堂々と、否其でもひつそりと通りました、ええ。

 舖裝の繼目と云ふか切目も舊線形を主張して呉れて居ります。
 して、此方が其名稱不明橋であります。

 一見しますと、別段何の變哲も無い規格橋であります。
高欄も圓柱の古初代ガアドレイルでありますし、年代的に云へば昭和四十年代前半頃の物だと思はれますので、未だ未だ現役でも問題無い筈であります。

 唯、元々橋の先眞直に、丘陵の麓迄在つた道が圃場整備に因りすつかりと消失して仕舞つてゐるのであります。
 左岸側から望む。

 車輪の痕跡から、今でも現役で使用されてはゐる樣でありますが、果して現橋が直ぐ左手に見えてゐる手前、本當に其存在價値が未だ有るのか不思議であります。

 高欄の草臥れ具合も、接續してゐたであらう道自體が消失してゐる現實を表してゐる樣で哀愁を誘ひます。
 消失した螺旋も其儘なのが愛しいであります。
 川に沿ふ樣に水路も通つてゐました。

 と云ひますか之、拙てつきり規格物の鈑橋だと思つてゐたのでありますが、何と混凝土桁橋でありますか。

 否、正直、之つて結構珍しいのでは無いでせうか。
ガアドレイル高欄の規格物鈑橋は當り前に何處ででも見ますが、混凝土桁で斯う云ふ橋つて餘り見掛無いと思ふのであります。

 あ、桁は此薄さから、多分單純桁と云ふ種類では無いかと思ひます。
 では、戻ります。
 現道、現橋との位置關係であります。

 思ふのでありますが、元々河川改修や圃場整備が決まつてゐたけれど、其迄に舊橋が老朽化に耐へられず危險に成つた爲、止無く架替に成つたと云ふ處でせうか。

 さうして、橋自體の供用年數が未だ殘つてゐる爲、路線自體附替に成つた現在も其儘殘されてゐるのかな、と想像した次第であります。

 確か近接して橋は二本架た儘に出來無いと法に定められてゐる筈であると聞きましたから。

 まあ、何時に成るか分りませんが、此橋が撤去される前に存在に氣附て良かつたと思ひました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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