河内町下田原 しらさぎばし

2674年 6月 10日 探訪

 山田川添ひを下つてゐる時に見附ました。

 ぱつと見には手荒く立派な橋が架つてゐるなと云ふ感じだつたのでありますが、何と無く違和感を感じた物件であります。

 では、も少し近附て見てみませう。
 扨此方【上河内村中里-宇都宮市馬場通四 栃木縣道六三號線 通稱田原街道舊道 【其五】】 の二枚目の冩眞、舊々道時代の名殘の部分から山田川に伸びた處でありますが、見事に未成物件と云ひますか廢物件と云ひますか、其一端を擔ふ物件であります。

 まあ、橋自體は完成してゐるのでありますが、御覽の樣な有樣なのであります。
多分でありますが、正にバブルの徒花だつたのでは無いかと云ふ感じであります。

 と思ひ航空冩眞で確認したのでありますが、何と此物件、西暦1995年以降の物件でありました。
西暦2000年の航空冩眞では其姿を確認出來ますので、廿世紀末頃に竣功してゐるのは確實なのでありますが、其時期に斯う云ふ意匠に此造り、 丸でバブルの忘れ形見の樣で或る意味手荒く驚いたのでありますが、一體何を作る目的だつたのかがさつぱり見えて來無い分、却つて單純に勿體無いなと思ふのでありました。

 と、之だけ書いて仕舞つたら、此後もう書く事無い樣な氣も致しますが、不取敢此方、左岸側から見て行きませう。
 しらさぎばし。

 如何にもな機械的字體と御洒落な意匠が特徴の親柱でありますね。

 黒御影石が立派であります。
 山田川。

 自然は強いでありますね。

 では右岸側へ移動致します。
 廣い歩道に御洒落な高欄。

 個人的には、斯う云ふのが御洒落と感じ度り、氣恥づかしく感じ無い樣な人間には絶對に成り度く無いであります。
 一體何が出來る豫定だつたのでせうか。
 しらさぎばし。

 嗚呼、左右兩岸で對稱でありますか。

 正直、柵の意匠やヤケに廣い歩道、舖裝の具合が如何見てもバブル遺産にしか見えませんでした。
 山田川。

 多分、舖裝されてゐる部分だけが私有地と云ふ意味なのでせうか。
 完成した曉にはセレブ云々とかプレミヤム何とか等と宣傳する豫定だつたのでせうか。
其が今や、街路樹の蔭が絶好の晝寢場所の樣であります。

 併しまあ何だ、實際。
 個人的意見を云へば、高欄と云ひ桁や橋臺の意匠と云ひ、恥づかしい位御立派であります。

 正直、手荒く惡趣味だと思つてゐるのは内緒でありますがね。

 以上、御附合有難う御坐いました。

戻る