河内町長峰 名稱不明橋

2676年 2月 16日 探訪

 此方は、栃木縣道一二五號線が白澤の臺に登り切つた處の一本西側を通る道が御用川を渡る橋であります。

 長閑な林間を進む道、とは云へ皆さん忙無く自動車で行交ふので冩眞を撮るのも結構大變だつたのでありますが、雰圍氣だけは良い處に架る、 一見して結構な年代物と思しき橋であります。

 まあ何か舖裝の具合や線形と高欄の位置關係がアレでありますが、不取敢此方左岸側から見て行きます。
 親柱は無く、高欄のみと成つて居りますが、其高欄の端の部分にも無記名でありました。

 まあ、道も橋も大して重要視されてゐ無い、若くはさう云ふ年代の作だと云ふ事でありますかね。
 當然此方側も同樣であります。

 併しまあ、親柱が無いとは云へ、端の部分の柱だけは其代用と成るべく太くされて居ります。

 では、右岸側へ移動致します。
 まあ、當然の樣に此方側もさうでありますよね。
 同上。

 併し何と云ひますか、多分橋の前後でS字に成つてゐる線形なのでせうが、皆直線的にしか走つてゐ無いと云ふ事でありますよね。
 橋の中央部から上流側を見て居ります。

 此如何にも開鑿致しました的な感じが流石御用川と云ふ感じで素敵であります。

 まさかとは思ひますが、江戸時代の其儘で此形、と云ふ事は無いでありますよね。

 して、高欄を見ますと、意匠的には昭和廿年代と云ふ感じであります。
 上流側も素敵な眺めであります。

 護岸整備がほぼ成されてゐ無いと云ふのは美しいでありますね。
 横から見ますと牀版橋、と云ふ譯で無く、T字桁橋の樣であります。

 併し何か、牀版の下の方の作りが何と無く杜撰に見えるのでありますが、斯う云ふ物なのでせうか。
 して、此方が右岸側の橋臺なのでありますが、パイル形式の橋脚同樣の物であります。

 其にしましても、隨分と洗掘されてゐる樣に見えるのでありますが、今後共大丈夫なのでせうか。
 左岸側に至つては洗掘されてゐるだけでは無く、形式其物も右岸側とは違ふのでは無いかと思ふのであります。

 其と、良く見ますと、混凝土のT字桁かと思ひきや、何と鋼材の桁でありました。

 扨、竣功年の推定でありますが、多分に昭和廿年代で良いのでは無いかと思ふのであります。
事實さう云ふ感じの高欄でありますし、パイル形式の橋臺からも、其で確定では無いかと思へる物でありますから。

 唯、しつかり作つてある共云ひ難い感じがし無いでも無いと云ふ感じでありますので、今後の行末が心配な物件ではありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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