市貝町市塙 山王森橋

2675年 4月 21日 探訪

 此方は國鐡眞岡線の市塙驛から距離にして二百米弱程西側、櫻川に架る橋であります。

 御覽の通り逆傾斜の親柱から、大凡の竣功年度は分る處でありますが、と云ふ譯でと云ふかと云ふ事でと云ふか、其な處での紹介であります。

 では此方、左岸側から見て行きます。
 山王森橋。

 橋名の由來は何處から來てゐるのだらうかと不思議なのでありますが、若かしますと、驛の裏側に山根城址が在りますので、其何かしらの流れを汲でゐるのでせうか。

 親柱は芳賀、市貝では見慣れ安心安定の逆傾斜であります。
 櫻川。

 正確には舊字體では無く、新字體で「桜」でありますがね。

 何か不屆者が銘板を外さうとした樣な形跡が朧氣乍見えるのでありますが、多分氣の所爲でせう。
 高欄は上下二本の鐵管を使用した意匠であります。

 鐵管の位置からしまして昭和四五年頃かな共思ふのでありますが、如何でせうか。

 唯、柱が思つた以上に幅廣型でありますのが意外と云ひますか、さう云ふ點で若かして年代が少し違ふのかも知れません。
 排水桝は結構獨特な形でありますかね。
 横から見ますと、一徑間の鈑橋であります。

 多分に御馴染の彼の會社製だらうと思ふのでありますが、何も書いて無い、と云ひますか、すつかり消えて仕舞つてゐるのかも知れません。

 其と、兩橋臺側共に同樣なのでありますが、堤防からの嵩上部分は石積、下部は混凝土塊團でありますから、下部は後年に成つてからの改修でせうか。
 三王森橋、昭和四十一年三月竣功でありますね。

 して、嗚呼、矢張トピー工業さんの製品でありましたか。

 否、一寸待つて、「山」では無く「三」とは如何云ふ事でせう。
 まあ何方かが誤字の儘なのでせう。
若くは、舊橋の時代迄は三王森橋だつたのを、此方に架替した時に改名したのか、と云ふ處でありますかね。

 して、一寸下に潛つて桁の樣子も見てみました。
成程、二本のH鋼と補強を斯う云ふ具合に繋いでゐるのでありますね。

 何か「-R B4」とか何か書いて有りますが、如何云ふ意味なのでせうかね。

 では、右岸側へ移動致します。
 山王森橋。

 何か高欄に比べて角度が微妙にアレでありますから、後年に成つて作り直された物でせうか、此親柱。
 櫻川。

 此方の橋の左右兩岸で對稱の銘版でありました。
 最後に主桁を良く見ました處、矢張書いて有るのが殘つて居りました。
鈑橋で御馴染の八幡製鐡さんでありますね。

 併しまあ、此處から一キロ程下ると小貝川に合流するのでありますが、其處迄の中でも數少い古參の橋だと思ひます。

 と云ふ事で、良い物件が見られました。
「三」か「山」、何方なのかははつきりして欲しい處でありますが。呵呵

 以上、御附合有難う御坐いました。

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