市貝町市塙 地藏橋

2673年 9月 3日 探訪

 氏家、高根澤方面からは疎か、宇都宮方面からもツインリンク茂木に向ふ折、數多の人が渡つてゐるであらう橋が此方、栃木縣道六九號線の櫻川に架る地藏橋であります。

 此寫眞を見て嗚呼彼處かと分る人も居られると思ひますが、御存知の通り交通量の結構多い道でありますので、流石に車を停て見る事は憚れます。
でありますので、一寸離れた處から徒歩にて見に來ました。

 と云ひますか、此處に古い橋が在る何て氣にした人の方が少いと思ふのでありますが、如何でせう。
御覽の樣に親柱も高欄も隨分と高さが低いでありますし、草に埋れて居りますから、下手すれば氣附無い儘に通過してゐるのでは無いでせうか。

 と云ふ事で、前置とは逆に、茂木方面から宇都宮方面を見る樣な感じで此方左岸側から見て行きます。
 地藏橋。

 何處でもさうなのだと思ふのでありますが、架られてゐる橋は斜めでも、親柱の正面は道路に對して正對する樣に作られてゐるのでありますね。

 正直、まあ此段階で書いて仕舞ひますが、竣功年度を示す銘板は何處にも發見出來ませんでした。
でありますが、航空寫眞や銘板、高欄の意匠、其と前後の道路整備に伴ふ別所の橋の竣功年度から推察致しますに、多分昭和卅五、六年頃の架橋では無いかと思はれます。

 不取敢西暦1948年では未完成であり、西暦1963年には確認出來る物でありますから。
 桜川。

 新字體でありますね。
當然のごとく戰後物件でありますね。

 草を踏分て銘板を撮影しようとして、思はず踏外して川に落ちさうに成つたのは内緒であります。

 いやあ、思ひの外、親柱の前には土盛りされて居りませんでした。
 斯うして見ますと、親柱が結構下の方迄伸びてゐるのが御分り戴けるだらうか。

 併し見事な斜橋振りであります。
是も單に朝鮮特需での好景氣が成せた技でせうか。

 して、奧に見えますのが、西暦1990年代に架替られた舊道側の橋であります。

 さう、此方は昭和卅年代頃のバイパスでありまして、元々は宇都宮方面から來た場合、右手に見えてゐる仲之内交叉點で右に折れまして、 國鐡眞岡線の傍を通つて東進してゐたのが舊道だつた樣であります。
 横から見ると、何れ位草に埋れてゐるのか御分かり戴けるだらうか。

 高欄には何處と無く華奢な横板が二本附てゐるのでありますが、道路側からでは上側の一本が辛うじて確認出來る程度であります。
其だけアスハルト舖裝も結構盛られてゐると云ふ事だと思ひますが。

 因に此、之だけの桁の薄さは單純桁と云ふ方式で間違ひ無いのだらうと思はれます。

 併し橋臺部分、下側の方は完全に護岸の役割を擔つてゐる樣な斜め振りであります。

 では右岸側へ移動致します。
 地藏橋。

 假名讀の銘板は無いので、竣功年度の推定は西暦1960年代、若しくは1950年代後半で確實だらうと思はれます。

 若しくは、昭和で云ふと卅年代前半と云ふ處でせうか。
草冠は舊字體の名殘か、繋つてゐ無いのが素敵であります。

 其と親柱の斜め具合もでありますが。
 櫻川。

 左右兩岸で對稱と云ふのが時代を感じさせる特徴でありますね。
 バイパスと舊道の位置關係。

 畫面左端、黒い自動車が居る邊で分岐し、其儘眞岡線と平行する樣に走り、徐々に現道と離れて行くのであります。

 併し此方も近年に成りバイパスが出來た爲に舊道と成り、縣道から町道へと指定が変つた樣であります。

 御蔭樣で、拙的にはのんびり出來る道が復一つ増えたと云ふ感じで嬉しい限りであります。

 其と同時に、斯う云ふ礎が在つたからこそ今に繋ると云ふ感じで、此方も此儘ずうつと殘る樣に成つて呉れたのでは無いかなと思へた物件でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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