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此方は栃木縣道七七號線、通稱舟生街道の清水川に架る橋であります。
さう、何と云つたら良いでせう、逆木用水の舊取水口、逆木洞門の四キロ程上流部と云つたら良いでせうか。
さう云ふ部分に架る橋であります。
ぱつと見に後年に成つてから擴幅されたのが分る橋でありますが、擴幅は昭和五五年以降五七年迄の間に成されてゐる樣であります。
さうして、地圖で見ますと擴幅部分は嘉多藏(カタクラ)地區に成る樣であります。
まあ、此方の地區名沓掛(クツカケ)も難解と云へば難解でありますかね。
して、ぱつと見の下流側の感じでありますと昭和卅年代、若くは西暦1960年代的な雰圍氣でありますが、其實如何な物でせうか。
と云ふ事で此方、右岸側から見て行きます。 |
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親柱は既に消失して居ります。
て、擴幅されてゐるのから當然でありますね。
同樣に右岸側も其痕跡は御坐いませんでした。 |
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其では餘にもアレなので、擴幅後の樣子をば。
無記名無機質の親柱にガアドレイル高欄と、別段何の特徴も無い、昭和五十年以降バブル期頃迄の普通の風景であります。 |
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たかはし。
多分に、之は元々全ての親柱で欲しい情報が全て分る状態だつたのでは無いでせうか。
「し」の古めかしい字體と横書の銘板が、矢張何と無く昭和卅年代と云ひますか、高度經濟成長期を想起させて居ります。 |
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高欄は鐵管を二本使用しました意匠であります。
之も其らしい意匠でありますね。
では左岸側へ移動致します。 |
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清水川。
此楷書體は工業規格の文字だらうと推察致します。
斜橋でありますのに異形の親柱にし無かつたのも年代的特徴でせうか。 |
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高橋。
何と、此方には銘板が附られて居りました。
して、多分に之は元の親柱から流用した銘板では無いでせうか。
嗚呼、さう成りますと、右岸側の失はれた銘板には竣功年度が表記されてゐたのでせうから、少々殘念では御坐います。 |
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横から見ますと、多分之はPCのT字桁では無いでせうか。
主桁の中間部分が抉れてゐる邊、何か新技術が使はれてゐる樣な期がするのであります。
此川幅を一徑間の混凝土桁で結んで居りますからね。 |
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橋臺を見ますと、擴幅側も結構な幅だと云ふのが分ります。 |
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其と、擴幅側の桁も面白い事に成つてゐるのであります。
此方左岸側は如何にも牀版橋と云ふ感じであります。 |
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對して此方右岸側、地覆から斜に成つてゐる、何方かと云ひますと昭和四十年代的な姿なのでありますが、多分此方側が元からの姿だらうと推察致します。
さうでありますね、左岸側は何かしら、多分補修で如彼成つたのでは無いでせうか。
と云ふ感じで、結構見る部分の有つた物件でありました。
以上、御附合有難う御坐いました。 |