芳賀町芳志戸 志道橋他一本

2673年 10月 29日 2676年 7月 26日 探訪

 此方は市ノ堀用水に添つた道をずうつと南下して來まして舊道に入り、舊芳志戸小學校の前に架る橋であります。

 一見しますと、別段取上る程でも無い樣に見えますが然に非ず。
不取敢此方右岸側から見る事に致します。

 因に奧に見える橋は、昭和五十年代後半に成り架られた橋の樣であります。
 此方も斜橋と云へば斜橋でありますが、出來るだけ直線に近い、且つ前後が窮屈に折無い樣にしてゐる感じが致します。

 と云ひますか、其依何依、親柱を意識した樣な造りに、何と無く戰前物件の樣な時代の香りを感じるのであります。

 何しろ、昭和廿二年の航空寫眞でも同樣の姿が確認出來る譯でありますから。

 して、横から見ますと戰前廢に見られる特徴を備へたT字桁の混凝土橋なのでありますが、何故かさう云ふ肝心の冩眞を撮忘れて居りました。
 然し親柱に當るであらう部分に、幾ら安全の爲とは云へ穴を開けて柵の柱を埋込で仕舞ふと云ふのは豪快であります。

 若かしますと案外貴重な物件だつたかも知れ無いと思ふのでありますが、其以上に子供達の安全の爲に、と云ふ事だつたのでせうね。

 因に、何と無く混凝土に直に文字が掘られてゐる樣に見え無くも無いでありますが、其は目の錯覺でありまして、四本の親柱全てが無地の儘でありました。

 併し、欄干の上部が微妙に弧を描いてゐ度りしますのは、流石戰前物件かも知れ無い物件、と云ふ處でせうか。

 本當の竣功年度は知りませんが。
 して、初囘探訪から三年弱、横から見た桁の冩眞をと思ひ再訪して來ました。

 橋臺に乘る部分が厚く成ると云ひますか、中央部分が薄く成ると云ひますか、さう云ふ、 如何にも戰前橋と云つた特徴を備へたT字桁を横から撮らうと思ひ小雨の降る中を來たのでありますが、何と、 前囘は晴天の強い日差の爲に氣附無かつた、牀盤横に何か彫られてゐる部分が確認出來るではありませんか。

 是は若かして、此方の橋名が刻まれてゐると云ふ事でせうか。
 志道橋。
昭和二十七年四月竣功。

 何と、隧道の樣に手荒く立派な意匠で橋名と竣功年度も刻まれて居りました。

 成程、昭和廿七年竣功でありますか。
此時代では、未だ戰前の架橋技術をほぼ踏襲してゐると云ふ事でせうか、明かに昭和卅年代の姿とは主桁が違ふと云ふ印象であります。
 では、當然の如く上流側にも在るのだらうかと確認しました處、嗚呼、矢張何か刻まれて居りました。
 しどうばし。
昭和二十七年竣功。

 をゝ、此方は平假名讀みで書かれて居りました。

 あな素晴しや、昭和廿年代橋。
案外昭和廿年代の橋で現存する物等、もう數少いでせうから、此方幸ひにも舊道化してゐる處でありますから、此儘ずうつと殘つてゐて呉れると、 歴史的物件としての價値が増すのでは無いでせうか。

 まあ、最初右書きでは無く左書きでありましたので、些かがつかりしたと云ふのは内緒にして措かうと思ひます。

 併しさう、昭和廿二年の航空冩眞と然程變化の無い姿に見えたと云ふ事は、橋臺は其儘生かし、桁だけを交換したのでせうか。

 と云つても木橋と混凝土橋では橋臺も違ふでせうから、全面的に刷新されて此姿、と云ふ事で間違ひ無いのでせうね。

 と云ふ事は、幅員等もほぼ變化無で架橋されたと云ふ事でありますかね。

 いやあ、併し良い物件が見られたのは大收穫でありました。
 此方は志道橋依り何れ位南下した處でせう。

 案外當り前の樣に彼方此方に架つて居ります斯う云ふ物件でありますが、自動車が通るには狹過ぎ度り致しますので、 矢張若かしますとモオタリゼイシヨン以前、志道橋と同年代の物件だつたりするのでせうか。
何處と無く手造感滿載でありますので、ついさうなのでは無いかと推察致しました。

 斯う云ふ物件こそ、先づ一切顧みられる事無く氣附ば無く成つて居りますので、何と無く記念にと一枚撮つて措きました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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