芳賀町上稻毛田 新生橋

2675年 7月 14日 探訪

 栃木縣道六一號線に添ふ樣にして流れる大川。
其大川の栃木縣道六四號線の橋から下る事四百米強の處に架る橋であります。

 多分に農用道橋と思はれますが、大體に於て此手の橋は竣功年度が不明なのでありますが、此方の橋は如何でせう。
ぱつと見の高欄の形状等からしますれば、大凡は想像に難く無いとは思はれるのでありますが。

 不取敢此方、左岸側から見て行きます。
 新生橋。

 何か手荒く素敵な字體であります。
と云ひますか、昭和四十六年三月竣功でありますか。
何て親切な橋でせう。

 さう、拙の紹介判定基準年代つて昭和四五年迄でありますので、本來でありましたら沒物件なのでありますが、 何か之で今迄の竣功年度不明物件の大凡の年代判定の基準に成るかなあと思ひ、採上て見た次第であります。

 と云ひますか、此銘板、元々からの状態なのか、其共色附し直した上に橋名等は書直してゐるのでせうか。
 大川。

 嬉しい事に、此方側にも竣功年度が書かれて居ります。

 其以外、親柱の意匠は至つて普通に質實剛健な姿でありますかね。
 まあ、さう云はれて見れば、成程確かに、高欄の下側の鐡管の位置が結構下でありますので、昭和四六年頃の特徴を有してゐるのが納得であります。

 其と、親柱は桁の上に附て居りますので、簡略化された年代、規格品と云ふ感じが致します。

 では右岸側へ移ります。
 しんせいばし。

 「ば」の書き方、藝術的であります。

 併し道幅に對して倍以上の廣さの橋に見えますが、之、川沿ひの畦道を走つて來て轉囘し度い時に重寳する事必至でありますね。

 一度某所で辛い經驗を致しましたので有難味が良く分ります。
 おおかわ。

 一度折てゐるのでせうか。呵呵

 因に、拙的には「おほかは」と書き度いであります。
 所謂スラブ形式とか牀版橋と云ふ橋でありますね。

 あれ、と云ひますか、 【高根澤町中柏嵜 名稱不明橋】 が同一の姿に見えますので、彼方も同一年代の物件、と云ひますか、同時に竣功した物件かと推察致します。

 若かしますと、中柏嵜橋と云ふ名前なのかも知れませんね。
 成程、橋の直上で地區境に成つてゐるのでありますね。

 と云ひますか、地圖では新生と云ふ地區は無く上稻毛田と成つてゐるのでありますが、大字上稻毛田小字新生と云ふ事なのでせうか。

 まあ、鈑橋では無い混凝土の規格橋の一形態を見られた、且つ竣功年代の大凡の特定も出來たと云ふ點で、良かつたであります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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