2677年 6月 5日 探訪
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此方は
【馬頭町富山 富山川水路隧道】
の一番上流部の隧道から上る事約二キロ、富山川に注ぐ支流の澤に架る橋であります。 して、此方は偶々ぐうぐるの航空冩眞を見て氣に成つた後、ストリイトビウを見て發見したのでありますが、地圖上では富山川の最上流部でありますし、 河川の表記も丁度途切れてゐた處でありますので、まあ良く見附た物だと思ひ自分で感心した次第であります。呵呵 と云ふ事で、如何云つた橋なのか、此方右岸側から見て行きます。 |
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まあ、此規模の橋の定石通り、と云つて良いのか如何かアレでありますが、親柱も橋名の表記も御坐いません。 |
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當然の樣に下流側にも、であります。 では左岸側へ移動致します。 |
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まあ當然此方側もでありますのでアレでありますが、不取敢横から見ますと牀版橋と云ふ形式の樣であります。 して、意匠的に考へますと戰後物件、多分昭和卅年代頃のでは無いかなと思ふのでありますが、如何にも調べようが無い儘でありました。 とは云へ、橋臺の下の方迄石積に成つて居りますから、大凡間違ひでは無いのでは無いかと推察致します。 |
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下流側からも見てみました。 して、少々増感して見たのでありますが、橋の下迄は石積の儘でありますね。 其から下の混凝土は後年に成つてからなのでは無いでせうか。 斯う云ふ規模の橋は數多に御坐いますが、斯う云ふ意匠の状態の高欄の柱は見た事が御坐いませんので、此儘殘つてゐて呉れると嬉しいかなと思へる物件でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |