2682年 2月 1日 探訪
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此方は
【粟野町深程 舊清南橋跡】
依り五百米弱程思川を上つた所で合流する松葉川に架る、栃木縣道卅七號線の舊道部分の橋であります。 其見た目の雰圍氣から歴史的物件かと思はれますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で、此方右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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此方の親柱は現道に飮込れて仕舞つて居りました。 |
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因に、現道側の親柱には"松葉川"の銘板が附られて居りました。 |
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女淵橋。 【鹽原町-藤原町、日鹽道路ノ橋】 を彷彿とさせる親柱の立派な笠石や磁器であらう手書の銘板が、如何にも戰前物件と云ふ雰圍氣であります。 其にしましても、隨分と舖裝が盛られてゐた樣であります。 |
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高欄は壁面の部分に長圓が二つずつ開いてゐる意匠であります。 では左岸側へ移動致します。 |
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此方がほゞ元からの路盤の高さでせうか。 一寸銘板が見辛いでありますね。 |
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昭和七年六月竣功。 素晴しい、昭和一桁物件でありました。 表面の洗出仕上も素敵であります。 |
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おなふちはし。 「を」では無く「お」なのは口語表記にしたと云ふ事なのでせうか。 |
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横から見ました處、如何にも戰前橋らしい混凝土T字桁でありました。 因に、此方の御主人に御話を伺ひました處、昔近くの御城の御姫樣が此邊に流れて來て引掛つてゐたから女淵と云ふ樣に成つた、と云ふ由來を教へて戴きました。 有難う御坐いました。 成程、橋名の由來も聞く事が出來ましたし、戰前物件が見られたと云ふ事で手荒く滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |