宇都宮市鐺山町-市貝町赤羽 國道一ニ三號(水戸北街道)舊、舊々道 【其三】

2675年 6月 2日 探訪

 【其二】からの續きであります。

 【現在地】

 扨、愈々ちやんと殘つてゐる舊道部分であります。

 此方も戰後、昭和卅年代か四十年代には一度擴幅されてゐる樣でありますが、流石に廿世紀末には捌き切れ無い交通量に成つた爲に、四車線化されたのでせう。
 して、左右何方側が元々の路盤部分なのでせうね。
 此處で左手から舊々道が合流して來ます。
 嗚呼、何と舊道は現道と合流出來ず、左折專用であります。

 まあ、交叉點の兼合で仕方無い處でありますかね。
 して、殘つてゐる現道との合流部分は、現在は歩道として利用されて居ります。

 歩道、なのかな。
まあ良いや。
 斯うして現道を見ますと、歪な路肩が見られますので、きつと元の線形の名殘なのでは無いかと推察致します。
 【現在地】

 扨、清原の臺を下りて來ますと、所謂線形改良での舊道部分が御坐います。

 路面の標示を見ますに、線形改良後も舊道側へ眞直進んで仕舞人が多かつたのでせうか。
 意外と廣い、と思ひましたら、砂利敷の部分は私有地の樣であります。

 と云ふ事は、現在の道の一車線分程度の幅員だつたと云ふ事でありますね。

 其と、交叉點部分は一方通行と云ふ事でせうかね。
 併し、とは云つても街道筋でありますから、何方かと云ふと廣い道なのでは無いかなあと思ひます。
唯、現代の自動車交通事情には合は無い、と云ふだけでありまして。

 逆に現在は自動車の臺數が多過ぎるんだと思ふのでありますが、ねえ。
 で以て合流であります。

 意外と曲り乍合流するのでありますね。
地の利を生かした線形故に、だからなのでせうが。
 合流した先、右手の廣い部分は舊線形の名殘かなと思つたのでありますが、如何やら其處から分岐する道の關係でのアレの樣であります。
 【現在地】

 多分此處を入つて行くのが舊々道の筈なのでありますが、完全に私有地と成つてゐる樣でありますので、勿論進入は致しません。

 【其四】に續く。

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