宇都宮市川向町-道場宿町 栃木縣道六四號線 通稱柳田街道舊道、舊々道 【最終囘】

2674年 3月 11日 探訪

 【其七】からの續きであります。

 【現在地】

 まあ考へても分ら無い物は分ら無いので、不取敢舊道の坂を登ります。
如何見ても痕跡は皆無つぽいでありますしね。

 嗚呼、前囘の何點かの寫眞でありますが、七月八日に再訪した時のが含まれて居ります。
 併し此處、兩側共に凄い石積であります。

 戰前の仕事だと思ふのでありますが、其つて全て手作業と云ふ事でありますよね。

 此處はねえ、實に壓卷でありますので、地元の方には是非實際に見て貰ひ度いと思ふ處であります。
 左右の石積の高さの違ひから、山を何の樣に開鑿して道を通したのかが分り、感慨深い物が御坐います。

 何かもう、藝術作品だなと思ひました。
 して、途中に横斷する道が在るのでありますが、當然乍其交叉點も綺麗に積んで御坐います。
 でも何か、氣持惡い位に石だらけ、みたいな。
 一時停止の標識が在る所は元々踏切であります。

 さう、宇都宮陸軍航空廠線跡であります。
 宇都宮陸軍航空廠線を過ぎますと、微妙に線形改良されて居りました。

 電柱で判斷致しますと、多分、さう成つてゐる方が舊線形部分だと思ふのであります。
 其先で現道との合流であります。
 恐く、此方の石積が在る處が元々の線形の部分なのでせう。

 さうして、坂を下つた處に在る野高谷町交叉點迄が、通稱柳田街道であらうと思ひます。

 併し柳田街道、宇都宮陸軍飛行場が工業團地に生れ變はり、其御蔭で斯う成るのでありますから凄い物でありますね。

 栃木縣道六四號線自體は烏山町迄續いてゐるのでありますが、此處から先は次の機會に、と云ふ事で今囘の柳田街道の舊道、舊々道探訪は締させて戴きます。
 【現在地】

 因に、石積は道場宿町の外れ迄續いて居りました。

 併し本當、すつかり別な街に變貌したなと云ふ感じであります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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