宇都宮市野高谷町-芳賀町給部 栃木縣道六四號線舊、舊々道 【其七】

2674年 3月 11日 7月 8日 9月 2日 探訪

 【其六】からの續きであります。

 【現在地】

 折た先の風景であります。

 手前は何時の間にか擴幅されてゐた氣がする、多分芳賀町の町道でせうか。
其奧が現道の栃木縣道六四號線であります。
 現道を横斷致しました。

 街燈が素敵でありますが、何時頃の物なのでせうか。
 して、舊道と合流して丁字路を右、であります。

 道端の用地の境界が"らしい"感じで素敵であります。
 現代とは違ひ、ずうつと一本道が街道と云ふ譯では無いのであります。

 まあ、交通手段と道の目的が全く違く成つたと云ふ事でせうね。
 右に折た先であります。

 ううん、此處は右側が擴幅されてゐるのでせうか。

 其と、左側の凸凹が當時物、と云ひますか、交叉點での混雜緩和策で確保された用地、と云ふ感じでありますね。
 さうして、再び現道との合流であります。

 が、昭和廿二年の航空寫眞を見ますと、此曲りの内側、丁度廣く成つてゐる邊から止れの標識の邊に向てへの字型に道が在るのが見えるのでありますが、 之が若かして元々の道筋だつたと云ふ事なのでせうか。

 但し明治時代の地圖では"さうだつた"と云ふ樣には見えませんでしたので、其正否は不明であります。

 ま、御覽の樣にとつくに消失して居りますから構は無いと云へば構は無いのでありますがね。呵呵
 まあもう本當、さつぱり分ら無いので先進みませう。

 因に今囘、寫眞の日附がばらばらなのでありますが、五行川から此處迄、何共判斷に惱む處が多かつたので、何度も通ふ羽目に成つて仕舞つたからであります。
 【現在地】

 後は、暫くは斯樣な線形改良部分が舊線形を主張して居ります。
 之だけ曲率が違ひますと、隨分と違ひますよね。

 唯、曲率を緩くした處で、現實はアレな人間には全く關係無く、依り速度が上つた儘同じ事を繰返すだけだと思ふのであります。

 本當、世の中下手糞許以下省略。
 信號機の在る交叉點の直先の左側もさう、舊線形であります。

 【其八】に續く。

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