芳賀町給部-烏山町向田 栃木縣道六四號宇都宮向田線舊、舊々道 【其一】

2674年 11月 4日 探訪

 【現在地】

 今囘の栃木縣道六四號線は、前囘 【宇都宮市野高谷町-芳賀町給部 栃木縣道六四號線舊、舊々道】【最終囘】 で一旦終了した縣道六一號線との交叉點からであります。

 現在では南北に通る六一號線の方が縣道としての番數は早いのでありますが、明治期の地圖を見ますと、今囘向ふ六四號線の方が主要道として描かれて居ります。

 して、此方でありますが、六一號線が線形改良されバイパス的に通つて居りまして、現道は此標識通りに進むのでありますが、元々は直進であります。

 因に此處から先、芳賀町給部から烏山町向田間の六四號線は、ずつと山間部を拔る路線と成りまして、現道は自動車で走ると手荒く氣持良い道であります。
以下省略。

 と云ふ事で、いざ參りませう。
 一寸見辛いので眞正面から。

 此處で、ほぼ平行して明治期迄の向田線の舊道敷が合流して來るのでありますが、其合流してゐたであらう位置と云ひますか用地なのでありますが、 交叉點左奧側の建物迄の敷地、さうしてトラツクが見える邊が其名殘では無いだらうかと思ふ次第であります。
 一寸分り辛いのでも少し先に進んだ寫眞をば。呵呵

 さうでありますね、丁度壽司屋さんの看板の邊か貨物車の邊で、明治道が此方に合流してゐたと思はれます。

 其とまあ、擴幅される以前の幅員が分り易い感じ、でありますかね。
 此交叉點も元々は十字路では無く、桝形に成つてゐた樣でありまして、若干ズレてゐるのが其名殘と云へば良いのでせうか。
勿論、元々は御互ひにもつと幅員が狹い道同士だつた樣でありますが。

 電柱の竝びや側溝の具合が一寸アレでありますが、之は如何やら昭和五十年代に入つてからの改修の樣であります。

 きつと元々は左折車線でも在つたのでせうか。
 何か前振許長くてアレでありますが、此方が元々の縣道六一號線との交叉點、給部(キウブ)交叉點であります。

 左手の色々と改修跡が素敵であります。
 左折して進みます。
 中央線の無い道は雰圍氣良いでありますね。
 緩い登りと折具合であります。
 一旦下つて現道と交叉するのでありますが、多分、中々新しい道が出來た事を氣附無い、若くは忘れて仕舞、一時停止せずに飛出して仕舞人が多い爲か、 何個も一時停止を促す看板が据ゑ附られてゐるのだと思はれます。

 と云ふか、如何せ文盲が大多數だらうて。
 【現在地】

 何か凄いでありますな。

 まあ實際、拙も夜間の徘徊中に事故處理中の場面に出會つた事が御坐いますから、可也頻繁に事故が起つてゐるのかも知れません。
何しろ此方、廿一世紀に入る前後頃迄現役の道でありましたから。

 と云ひますか縣道六四號線、高根澤から芳賀に入つたと思つたら、復高根澤に入りますよ。
 現道の六四號線を横斷致しまして、高根澤町中柏嵜側の風景であります。

 此處から愈々烏山へ向て標高を稼ぐ樣に成つて來ます。
 【現在地】

 元々の道形で、右折して進みます。

 と云ふ事で、此處で縣道六一號線とは御別れであります。
 扨、峠へ向ての登りの始まりであります。
 と云つても此處の勾配は未だ然程では無いであります。
 まあ、百米少々で現道と合流して仕舞ふのでありますがね。
 此幅員の差でありますから、自動車で通行するには擴幅されて良かつたなと思ひます。

 扨、拙が此登りをずうつと自轉車を漕いで上がれたか如何かでありますか。
其は當然、今ダンプが見えてゐる先、且つ家の手前迄で一旦休憩でありますよ。呵呵
 【現在地】

 扨、栃木縣道六四號線は宇都宮-芳賀-高根澤-芳賀-高根澤-芳賀-高根澤と來まして、今度は南那須町の曲畑(ソリハタ)に入りました。

 上の冩眞の位置から此處迄の間、舊線形は消失して居りますので省て居りますが、今囘紹介致します部分は完全に別な處を通る道程と成ります。
而も今囘進む、所謂舊々道の道筋(擴幅前を舊道と見做た場合)は、昭和五年の時點で既に舊道落ちした部分であります。

 果してきちんと通る事が出來るのでせうか。
其共、廢道と化してゐて困難な道なのでせうか。

 【其二】に續く。

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